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(尖閣諸島)日の丸と灯台と右翼団体

日本固有の領土

10-09-18 16:11 配信


「真正日本国全図」発行:都議会議員 土屋たかゆき 古賀俊昭

日本の領土 最北端は北緯45度33分28秒、東経148度45分14秒 択捉島のモッカイワ岬、最東端は北緯24度16分59秒・東経153度59分11秒東京都南鳥島、最南端は北緯20度25分31秒・東経136度04分11秒東京都沖ノ鳥島、最西端が北緯24度26分58秒・東経122度56分01秒沖縄県与那国島である。
南端でも西端でもないのに注目されるのが、石垣島北北東175km、台湾から約190kmの位置にあり尖閣諸島で一番大きな島が魚釣島だ。
なぜ魚釣島が注目されるのか。
1960年代に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)によって東シナ海の海底資源調査が行われ、この地域における石油・天然ガスの埋蔵が確認された。日本政府はその調査結果を元に、東海大学に委託して1969年から1970年にかけて2度、尖閣諸島海域の海底地質調査を実施した。その結果、海底新第三紀堆積層が尖閣諸島を中心に約20キロの広がりがあり、その層厚3000メートル以上と判明したことを公表した。
それを聞いた中華民国国民政府(台湾政府)が1970年7月17日に米国パンパシフィクガルフ社に尖閣諸島海域の石油資源探査掘権を許可したことで尖閣諸島の主権問題が生じたのだ。中華人民共和国(中国)も同年12月29日の「人民日報」で「日本は魚釣島など、元来中国に属する一部の島や海域を日本の版図に組み入れようとしている」と主張するなど尖閣諸島問題は一躍注目される様になり、日本の学者の間でも日本の実効的支配にあった尖閣諸島の中国帰属説を訴えるものまで出てきた(所謂井上清見解)
さらに中国は1972年3月3日国連海底平和利用委員会で米国に対しても「日本の反動派とグルになって『沖縄返還』のペテンを利用して、わが国台湾省の付属島・・・魚釣島などを日本の版図に組み入れようとしている」「この地域の海域と中国近隣の浅海海域の海底資源はすべて完全に中国の所有に属し、いかなる外国侵略者といえども、これに手を付けることは許されない」と主張した。
 『沖縄返還』をペテンと言われ、『外国侵略者』とされた日本政府はこれに対し「沖縄返還は日本全国民の希望の実現であって、中国がこれをペテンと呼ぶことは、日本国民の憤激を買うだろう。尖閣列島に対しては日本以外のいかなる国も主権を持っていないし、東シナ海の大陸棚資源については、日本は国際法のルールに従って主権を持っている」と反論した。
反論の根拠として
(1)わが国は明治18年以降再三の現地調査を経て尖閣列島が無人島であるのみならず、清の支配が及んでいないことを慎重に確認し、明治28年に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行い、わが国領土に編入した。これは先占権の行使である。
(2)尖閣列島は明治28年5月発効の下関条約第二条に基づき、わが国が清国より割譲を受けた台湾および澎湖諸島(ほうこしょとう)には含まれていない。
(3)サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土には含まれていない。尖閣列島は米国施政下にあったもので1971年沖縄協定によって日本に返還される地域に含まれる。
(4)中国が尖閣列島を台湾の一部と考えていなかったことは、平和条約第三条に基づき米国の施政下に置かれた地域に尖閣列島が含まれている事実に何らの異議も唱えなかったことで明らかである。
(5)中華民国および中華人民共和国政府が所謂歴史的、地理的、ないし地質的根拠としてあげている諸点は、いずれもどう列島に対する中国の領有権主張を裏付けるに足る国際法上の有力な根拠とは言えない。
以上5点を示した。
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1920年福建省漁民31名の遭難救助に貢献したとして石垣村長以下に中華民国駐長崎領事は感謝状を贈呈したが、その感謝状には尖閣諸島を日本領土と明記されている。また、1971年の沖縄返還協定において、わが国に沖縄とともに返還された尖閣諸島のうち、魚釣島の北東27kmにある久場島は在日米軍の射爆演習場として、米軍が約400万円の賃借料を毎年日本政府に支払っている(現在も続いている)

1972年5月15日沖縄返還の日 初代第十一管区海上保安本部長 兼松氏は
「5月15日の予定行事を終えて、ホッとしてl0時からの沖縄県主催の記念式に出席していた私は尖閣諸島警備中の巡視船「からつ」からの通報に驚かされた。夜があけて魚釣島を見たところ島の小高い所に日の丸を揚げて頑張っている者がいるという。
いうまでもなく、この諸島については中国が領有権を主張しており、本土復帰と同時に何らかの対抗手段に出てくるのではないかと危惧されていたところであり、私としても最も頭の痛い問題の一つであった。そのため、本庁でも早くからこれが対策について検討を重ね、復帰後はこの海域に常時2隻の巡視船を配備して警戒に当たることが庁議で決定していた。この決定に従い、十管区と七管区からそれぞれ巡視船「さつま」、「からつ」の応援を得て、警戒に入ったばかりである。早速、本庁と連絡をとる一方、対策について協議した。
本庁では、この問題が大きなニュースとなって中国政府を刺激することを恐れ、何とかこれを止めさせることはできないかという。しかし当日は極度の悪天候で、巡視船から上陸はできないし、たとえ上陸できても強制的に身柄を拘束することは法的にも難しい。
いろいろ迂余曲折はあったか、上陸者本人が連日の豪雨にぱててしまい、巡視船に救助を求めてきてチョンになった。しかし私はこのニュースを伏せるため、新聞記者から逃げまわり、警備課の方々が随分と苦労されたことを付して置く」と記している。(海上保安庁第十一管区 10年のあゆみ)



【その後の経過】
1974年1月30日 
東シナ海の日韓大陸棚共同開発協定が調印されたのを受け、中国政府は「中国に対する審判行為であって許されない」と申し立てた。これに対し日韓共に「自国よりの中間線をとっていて国際法上の権利は侵害していない」と主張した。

1978年4月12日
尖閣諸島海域に最大200隻で構成された中国籍漁船団のうち40隻が侵入し自国領だとして領海侵犯した上、海上保安庁の再三の退去警告を無視し約1週間操業した。漁船は機銃を装備しており1800km以上も離れている山東省籍の船も含まれているなど、中国政府の策動との見方もあった。

これに憂慮した右翼団体が魚釣島に日の丸を掲げた。1978年5月12日の琉球新報は「魚釣島に日の丸 右翼上陸」として「第十一管区の尖閣諸島領海警備実施本部に入った連絡によると、十一日午前十一時半頃、右翼五人が魚釣島南岸に上陸し日の丸を掲げた。本土から来た右翼が伊良部島の漁船をチャーターして尖閣に乗り込み巡視船の制止を振り切って、二人がゴムボートで、三人は飛び込んで魚釣島に上陸したと言う」「上陸した右翼は大日本赤誠会二人、石門同志会二人、四国天地会一人の計五人。“隊長”以下九人編成のグループ」と報じた。また5月27日の八重山毎日新聞は「尖閣領有の右翼が離島」とし「尖閣諸島の魚釣島に今月十一日から上陸していた右翼五人の「領有決死隊」は、二十六日昼ごろ、尖閣諸島領海警備本部の巡視船に救助を求め、同日午後同島を離れた」と報じた。日本の領有権を主張し、海上保安庁の制止妨害を振り切って強行上陸し、二週間以上もの間無人島で日の丸を掲げていたのだ。

また8月には日本青年社が魚釣島に灯台を建設。日本青年社HPには「政府がこの中国の暴挙に何の対応のできなかったことに危機感を抱き「尖閣諸島領有決死隊」を編成、同諸島に上陸して領有権を主張するべく灯台を建設、同12日に日本の灯火を点した」と記されている。日本青年社は灯台の保守点検を続け、10年後には最新式の新灯台に建替えを行った。またこの灯台は海上保安庁の指導を受けて完成し「魚釣島漁場灯台」の名称も海上保安庁が命名したにもかかわらず、日本青年社が再々提出した灯台の管理許可申請に対して、海上保安庁は受理したが、政府は「対外的な問題が介在しているので暫く猶予期間が欲しい」「現在関係官庁と検討中、結論を延期したい」などの理由で、福田赳夫首相は認可しなかった。
ようやく2005年2月になって政府は私的団体の資金で建設、維持管理されてきた灯台を国有化した。日本青年社HPには「私どもが昭和53年に尖閣諸島魚釣島に建設して以来、現在まで27年間にわたって守り続けてきた魚釣島漁場灯台は、政府から正式に海図に記載し今後は国が維持管理を受け継ぎたいとの申し出があったことから、政府関係者と協議を経て平成17年2月9日に灯台を国家移譲致しました」と記されている。現在この灯台は航行警報05-0276標識灯台として付近の航行漁船の安全確保に寄与している。いち早く日の丸を掲げたのも、灯台を建設し、27年もの間、保守点検や維持管理を続け、漁船の安全と日本の領有権を守って来たのは右翼団体だった。

1991年
尖閣諸島海域で操業中の日本漁船に対する国籍不明船(一部は中国船と判明した)による発砲・襲撃事件が多発。中国海軍高速艇の威嚇発砲事件発生。

1992年2月
中国領海法が制定され、中国は尖閣諸島を領海に含め、1992年から1993年にかけて軍事襲撃・発砲事件が続いた。1993年の日本船威嚇事件は25件に達した。

1996年7月
日本の沿岸200カイリ設定で中国は「日本が釣魚群島を囲い込んだ」と非難。9月には香港と台湾の「全球華人保釣大連盟突撃隊」が尖閣諸島海域に突入し、10月にはその第二陣が魚釣島に強行上陸した。

1997年5月
日本の「新進党」国会議員が魚釣島に上陸。香港・台湾の活動家による抗議行動が起きた。
この時に上陸した西村真悟 元衆議院議員は自身の講演で「私が現地に行って感じた事はですね、青年社の諸君があそこに灯台が必要だと営々と尖閣問題に取り組み、そして具体的に灯台を建てた動機が分かりました。宮古、石垣、与那国五千の漁民が生活の海としているあの大海原に突然現れる岩礁、岸壁の尖閣諸島は、真っ暗な闇の中でそのままであるならば、漁船の安全は保たれないのでございます。行ってみなければ分からない事でございます」と述べている。
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海上保安庁によると先日の中国漁船衝突事件の日は約160隻の中国漁船が操業しており、そのうちの約30隻が領海侵犯していたとのこと、毎日何十という漁船が周辺で操業していて、8月中旬の最も多いときには270隻が認められた。
弊社の取材に石垣島で漁業を営むSさんは「ぶつかってくることなんてしょっちゅうだ。銃口を向けられることだってあるけど、石垣の漁船は負けやしないよ。ぶつかって来たらぶつけ返して沈めてやるさ。そんなこと当たり前。1ミリだって入れさせやしない」と力強く語ってくれた。

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3.かつしか たかだ 10-10-09 22:10:01 評価:★★★★★

尖閣列島に関して、極めて意義深い記事であると思います。今回の漁船拿捕事件は、明らかに領海侵犯及び、建造して40年近くの老朽保安船の多い日本の領海警備の海上保安船に対して、漁船にとって最も弱い舳先をわざわざ鉄板補強強化して、船体の強度的な弱点を狙って体当たり沈没攻撃を図ったと見られても仕方の無いと専門家の指摘を受けている事実があり、他国であれば、領海侵犯の時点で、船体の攻撃と撃沈が常識であるのに、公務執行妨害で拿捕して、船体と乗員の取調べに曳航した先で、接岸から、上陸に至るまで、ビデオカメラで撮影記録を行う、おおよそ漁民と言うより、警備行動の記録と日本の領海侵犯の際の船体及び、乗員の安全確認と海上警備の盲点調査を行う工作行為に対して、政府内閣共に安全の保証と長期拘留と罰金徴収の意思の無い事を世界に宣言したに等しい。この件に対して、立憲国家としての意思を明確にする為に、早急に反日国家地域組織の暴力的な事実と明確な偽装宣伝行為に対する制裁法及び、制裁施行法の成立を国家の意思を明確にする為に、超党派で議員立法すべきである。日本は国家の意思を国会議員の立法権を持って世界に明示する時である。此れが唯一、近隣漁民の生命と近隣国家の日本狩りの対抗手段であると思っている。

2.サクヤ 10-10-02 04:04:49 評価:★★★★★

この時期にタイムリーな尖閣諸島についての記事をありがとうございました。
尖閣諸島を巡る近年の行きさつが分かりやすく順を追ってまとめてあります。
日本青年社の立てた灯台は日本領土と近くを航行する船、創業する漁民の安全を守っているのですね。

その日本青年社ですが、尖閣諸島に上陸しようとして海保に止められたそうです。
残念です。

1.紀州犬クロ 10-09-23 10:10:43 評価:★

事なかれ主義の政治家や役人の無為無策に比較し、
自らリスクを背負い行動された日本青年社の方々に敬意を表します。 
 この志を無にすることなく引き継いで運動してゆく国民が一人でも増えるよう私も頑張りたいと思います。。


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