セントルイスブルース


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「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より


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セントルイスといえば、ジャズで有名ですが、この町はメンフィス、ニューオリンズなどと並んで、ミシシッピ川の流域にある町です。

ミシシッピ川は、かつては世界最長の川(実際には一位はナイル川)とさえいわれた川で、その名の由来も、インディアン語の「大きな川」から来ています。

このミシシッピ川の流域は、かつてはフランス領だったところで、そのせいか、流域の町は、ちょっとおしゃれ。

そしてそのミシシッピ川の河口にあたるところにある州が、ミシシッピ州です。

実はこの州は、150年前の今日(文久元(1861)年1月9日)に、アメリカ合衆国を脱退しています。

州が国を脱退して何になったかというと、アメリカ連合国です。
英語名で Confederate States of America といいます。

いっしょにアメリカ連合国を構成したのが、サウスカロライナ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州、バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州で、合計11州が、合体してアメリカ連合国となった。

なんとこの国にはちゃんと大統領もいて、この年の11月の選挙で、正式にアメリカ連合国初代大統領に就任しています。

ちなみに、このあたりの歴史について、南北戦争があって、アメリカ連合国が誕生したようなことをいう人がいるけど、それは違います。

先にまずアメリカ連合国ができて、気が付いたら南北戦争が始まっていた、というのが真相です。

もともと、アメリカ南部の11州は、主たる産業が農業です。

この時代、まだ石油はなく、人々の衣類は、もっぱら綿が中心です。

特に産業革命以後のイギリスは、繊維製品加工業が大発展しており、彼らはアメリカ南部諸州から、綿花を輸入し、これを機械で糸にし、これを布や衣類に加工し、できあがった製品を世界に輸出していました。

当時の英国は、まさに七つの海にまたがる大帝国です。
英国製、というだけで、品質の権威もあった。
英国製の生地や、仕立物は、まさに世界中でひっぱりだこです。

おかげでいまでも、英国製生地といえば、高級布だし、英国人のいわば民族衣装だった背広上下服は、いまだに世界のビジネスマンの一般的制服になっています。

つまり、アメリカ南部の広大な土地で、綿花を栽培する。
そこで集荷した綿花を、英国に運ぶ。
英国でこれを糸と生地に仕立てる。
その生地が世界中で引っ張りだこになる。

要するに、アメリカ南部諸州は、綿花を作れば売れた。
馬鹿みたいに売れた。
作ったら作った分だけ売れた。

そうなれば、当然、農場は広大な敷地となり、そこでは格安労働力として黒人奴隷が使われまた。

農場は、見渡す限りに広がり、綿花の輸出で大儲けした各家は、豪華な宮殿のような屋敷を作った。

そのなかの一軒が、スカーレット・オハラの住む屋敷で、これが「風とともに去りぬ」の物語の舞台となっています。

一方、北部諸州はどうかというと、気象条件の違いで、綿花の生産というわけにいかない。
そこで北部諸州は、むしろ綿花を加工する工業化を促進します。
つまり、英国産業を、自前で展開しちまえ、というわけです。

ところが、七つの海を制し、世界に市場を持つ英国と根本的に違うのは、北米には、それだけの市場がない。
モノは、作れば売れるわけではないのです。
売り先があってはじめて売れる。

だから北部諸州は、海外の、まだ英国の手がついていない地域の植民地化を推進し、そこに新たな市場を築こうとするし、一方では、綿花の輸出を制限し、保護貿易化を推進することで、国内での綿花流通を盛んにしようとします。

ところが、これをやられると困るのが、南部諸州の農場主たちです。
自分たちの生活のすべては、綿花を作り、これを英国に輸出することで支えられている。
これに対して、北部がいうのは、アメリカ国内での繊維産業を活性化するから、英国との自由貿易は許さない、というのです。

とうぜん、農場主たちは怒ります。
そしてその農場主たちに支えられた、南部諸州の政治家たちも、怒る。
そりゃそうです。政治家は、応援者たちと思いを共有しなければ、選挙にうからない。

そこへもってきて、万延元(1860)年には、リンカーンが大統領に就任する。
貿易を保護貿易化され、輸出入に関税がかかり、米国南部諸州産の綿花が国際競争力を失い、リンカーンの政治主張である奴隷制の廃止なんてのが実現してしまったら、南部の経済は壊滅してしまいます。

こんなんじゃあ、やってられないよ、てなことになって、1861年の2月から4月にかけて、南部諸州がアメリカ合衆国から脱退し、4月には、南軍がサウスカロライナ州チにある「サムター要塞」を砲撃して、まだ南部11州の大統領も決まってない状態で、いきなり戦端が開かれてしまいます。

南北戦争というのは、文久元(1861)年~慶応元(1865)年にかけて、4年間にわたって行われた、米国史上名高い戦争で、最終的には、北軍220万人、南軍100万の兵力が激突。両軍合わせて120万人以上の死傷者を出した大戦争です。

ちなみに日本では、南北戦争という呼び方をしますが、正式な英語名は「American Civil War」です。
直訳すればアメリカ市民の内戦、もしくはアメリカ市民戦争です。

ただし、南北戦争は、日本の明治維新のときの戊辰戦争のような、内戦ではありません。

戊辰戦争は、陛下の率いる官軍が、陛下に従わない幕軍を討伐する、というあくまでの国内での戦闘です。

ところが南北戦争においては、南軍11州は、北米から脱退して、「アメリカ連合国」を形成しているわけです。
ですから、南北戦争は、厳密には内戦ではなく、国家間の戦争という位置づけになります。

ただし、国家間の戦争といいながら、この戦争で宣戦布告のようなものは行われていません。

実はこうした宣戦布告を堂々として戦争をはじめるというのは、世界の歴史上、戦前の日本くらいなものです。
日本では、武道の心得として、すべての試合は、果し合いであれ、戦闘であれ、すべて「礼にはじまって礼に終わる」。
ですから、若いオニイサンたちがケンカをする場合でも、最初に出る言葉は「オイ、表に出ろ!」です。
室内で暴れてモノを壊しちゃいけないし、表に出て、正々堂々と、いち、にの、さんっ!で、殴り合いがはじまる。

実は欧米の人と喧嘩をすると、こんな男同志のルールすらなくて、びっくりすることがあります。
簡単に言ったら、ボクシングするのに、カーンと鐘が鳴ってから試合が始まるのではなくて、鐘が鳴る前に、気が付いたらボコボコ殴り合いがはじまっている。

日本は大東亜戦争で、真珠湾の奇襲がどうのとさんざん言われているけれど、宣戦布告文というものを、後先の問題は別として、すくなくとも時間通りにちゃんと届けようとしたというのは、それが日本だからです。

そして日本人は、真珠湾の爆撃開始より、宣戦布告分の手渡しが遅れたと責められると、気分として、「アチャー(´・ω・`)、そりゃあ、えらい済まんこって」と申し訳ないという気になる。
けれども、それは、私たちが日本人であり、礼儀や、ものごとのはじめりのケジメをきちんとしなければ気が済まない民族だから、(´゚д゚`)アチャー、となるだけのことで、世界の戦史を見れば、ご丁寧に宣戦布告をしている国自体が、アホちゃうか?というくらい、めずらしい存在であることがわかります。

すみません。話が脱線しましたが、要するに、両軍合わせて250万人の兵を動員し、うち、120万人もの死傷者を出した南北戦争でさえ、その始まりは、じつにあいまいなものであった、ということです。

さらにいえば、南北戦争が始まった1861年4月の時点では、北軍、南軍ともに、戦争の準備さえ、全くできていない。

そもそも当時のアメリカ合衆国(北軍)陸軍は、総数1万6000人しかいなかったし、武器も、旧式の装備しかなかったのです。
北軍の海軍も、船舶はわずか42隻、将兵はたったの7600人であり、南軍にいたっては、まだ正規軍すらなかった。

戦争目的も、南軍には、南部諸州の産業を維持し、綿花の自由貿易を推進する。侵攻してくる北軍に対し、自分たちの郷土を守るというある程度明確なものがあるけれど、北軍は、どうも戦争目的自体があいまいです。

とりあえず奴隷の解放をうたっているけれど、それ自体は、国内制度がいかにあるべきか問題であって、南部諸州で働く黒人奴隷を解放するために、北軍に所属する若い白人兵士たちが、命をささげるというだけの人種平等主義は、当時の北軍側にすらありません。

いったん出て行った南部11州を連れ戻すための戦い、という説もあるけれど、国家規模の戦争目的としては、かなり曖昧なものと言わざるを得ません。

そもそも、開戦前には、北軍、南軍ともに、兵士はおろか軍備すら準備できていない状況のもとで、ではどうして北軍は、わずかの間に220万人もの兵力を用意し、その兵全員に最新式の銃で装備させるなどという芸当ができたのでしょうか。

しかも、開戦時点では、アメリカ合衆国の主たる産業は、むしろ南部11州の綿花栽培であり、北軍諸州の機械工業は、いまだ市場も確立していず、産業としては十分には育っていません。

にもかかわらず、北軍は、220万将兵に、最新式の兵器を取りそろえ、南軍諸州にまで攻め込んで、勝利を得ているのです。

ついでに戦後の北軍は、アメリカ連合国が、兵器をそろえるために海外(主としてイギリス)から調達した戦時国債を、全部引き受けて償還し、されになんと広大なアラスカをロシアから、買い取っています。

いったいどっからそんなお金が出てきたのか、というと、これが実は日本が重大な関係をしている。

このことは昨年10月3日の当ブログの記事「尖閣問題と国益」に書いたことですが、もういちど要約してみます。

人類が誕生してから、現在に至るまでに世界で算出した金(カネではなくてGold)は、オリンピックプールに換算すると約三杯分になるのだそうです。

そしてそのうち、なんと二杯分が、日本産だった。

おかげで江戸時代の日本では、普通の庶民が財布に一万円札の代わりに黄金でできた小判を入れていたし、鼠小僧次郎吉が、夜の町を千両箱をかついで駆け抜けて、貧しい家に小判を分けてまわっています。
(欧米なら貧乏人が金貨を持っているだけで、怪しいやつとして殺されかねない)

一般庶民の金毘羅詣のような旅は、広く普及していたけれど、そうした旅に出るときは、その礼儀として、旅の途中で万一、あの世に行くようなことがあったときに、自分の遺体を世話してくれる人のために、肌着の衿(えり)に、小判一両を縫いこんでおくのが習慣だった。

まあ、考えたらわかるのですが、そこらを歩いたり電車に乗っている人みんなの財布の中に、黄金でできた小判が何枚かはいっている。
それが日本全体になったら、どれだけの流通量だったのかと、想像するだけで、どれだけ日本が金の大国だったのかがわかろうというものです。

金がたくさんあったことで、江戸の昔から歯の治療といえば金歯。
ボクたちのおじいちゃんの世代くらいまでは、ニヤッと笑うと、総金歯なんて人も結構いました。

そういえば、獅子舞の獅子は総金歯と相場が決まっています。
獅子は、ライオンを空想した動物とされますが、百獣の王を総金歯にして楽しんでいるのは、おそらく世界広しといえども日本くらいなものではないかと思います。

要するにまさに、日本というのは、掛け値なし、ほんものの「黄金の国ジパング」だったわけです。




その日本に、嘉永6(1853)年、アメリカから黒船がやってきます。
南北戦争の8年前の出来事です。

鎖国をしていた日本は、とりあえずペリーを上手に追い払い、まる一年、問題を先送りの塩漬けにします。

もともとアメリカが東南アジアに進出しようとした目的は、英国にならぶ繊維製品の販売市場を東亜に求めようとする国内事情が濃厚に働いています。

ただ、実際にペリーが日本に来てみると、日本人は綿だけでなく、麻や絹も自国で生産しており、そので紡がれる織物は、まさに工芸品のレベルにまで達しています。

これでは商売にならない。
どうすんべかと思っているところに、米本国からハリスがやってきて日本の国内事情を調べ上げると、なんと、日本では金(きん=gold)がめちゃくちゃ安い。

世界の相場は、メキシコ銀貨4枚で、金貨1枚と交換なのです。
ところが、日本では、メキシコ銀貨1枚と、一分銀4枚が等価で、一分銀4枚と慶長小判1枚が等価だった。

こう書くとめんどいので、ぐぐっと詰めると、要するにメキシコ銀貨1枚を持って日本に行くと、慶長小判1枚と交換してもらえる。

そんで、その慶長小判1両を香港にあるイギリスの銀行に持ち込むと、メキシコ銀貨4枚と交換してくれる。

つまり、香港と日本をいち往復するだけで、手持ちの金が4倍になるのです。

この理屈を知ったハリスは大喜びします。

で、日本との間で、嘉永7(1854)年、日米和親条約を取り交わす。
そして、翌月には、和親条約の細則を定めた「下田条約」を取り交わした。

そしてそこで、両替相場を固定してしまいます。

この結果ハリスは、香港と日本を往復するだけで、巨万の富を手にした。

どのくらい儲けたかというと、なんと京(ケイ)の位まで儲かったそうです。
京(ケイ)の位というのは、1兆の1万倍です。
つまり1万兆円も儲かった。

小判入手を目的とするメキシコ銀貨の一分銀への両替要求は、一日になんと16000枚にも上ったそうです。

おかげで、国内に流通すべき一分銀は巷から消えてしまうし、日本の小判も国外に流出して、巷から消えてなくなってしまいます。

いまの世の中から、こつ然と一万円札がなくなったという姿を想像してみてください。

当然日本国内ではたいへんな混乱がおきる。

もう両替する小判が、国外に流出してしまって、ない、というと、こんどはハリスは、金が足らなくて小判ができないなら、小判の中の金の含有量を減らしてでも小判を発行せよと、ものすごい剣幕で幕府に迫った。

圧力に屈した幕府は、見た目が同じで含有金量が慶長小判の約8分の1しかない万延小判を鋳造します。
これが万延元(1860)年、南北戦争が起きる1年前のことです。

ところでそもそもハリスはどういう人かというと、アメリカ合衆国の外交官です。
要するに公務員であって、第16代アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)の子分です。

ハリスが日本の金で大儲けした金は、ハリス個人もそれなりに小遣い稼ぎをしたろうけれど、基本的にアメリカ合衆国の収入です。

そしてこの時代、アメリカ合衆国からは、アメリカ連合国が生まれ、南北で戦争が勃発した。

この戦争は4年続き、北軍の勝利に終わったけれど、不思議なことに、莫大な戦費は、いったいどこから出たのか。

南軍は、簡単です。
英国の繊維業者との太いパイプを持つ南軍(アメリカ連合国)は、英国に戦費債を引き受けてもらい、資金を調達して、戦争を戦っています。

一方、北軍は、なんと無借金で戦争を戦っている。

さらに、戦争が終わると、北軍は、南軍の戦費債を全額立て替え払いし、さらにアラスカをロシアから、キャッシュで買い取っている。

要するに、北軍は、無借金で南北戦争を戦い、勝利した後には南軍が海外から借りた戦費の公債を肩代わりして支払い、さらにアラスカをも買収して領土にしたというわけです。

そんなカネが、どっからでたのか。
答えは、もうお分かりのことと思います。

さらに付けくわえると、南北戦争で使われた大量の銃器や大砲は、戦後、余ってしまった。

南北戦争は1865年に終わるけれど、これは日本の慶應元年です。
そして、幕末、官軍と幕軍が戦った戊辰戦争は、慶應4年にはじまっている。

そうです。
戊辰戦争で使われた武器弾薬は、南北戦争で使われた大量の小火器の中古品です。

アメリカにしてみれば、日本からせしめた金で南北戦争を戦い、戦後は余った武器を、ひとつはフランス経由で幕府に、ひとつは英国経由で薩長に売り、そこでまた巨額の儲けを出したわけです。

日本からみると、アメリカに金貨をだまし取られ、国内の金貨が空っぽの状態で、青息吐息でさらにアメリカから中古武器を買って戊辰戦争を戦った。

本来、戊辰戦争は起こす必要のない内戦といえるかもしれません。
だって、幕府は大政を奉還したのです。

大政奉還したということは、世は天皇親政の時代になったということです。
これで国内は統一されたわけで、敢えて内戦まで起こす必要はない。

ところが金の流出と、それへの対策としての小判の改鋳(小判の金の含有量を落とした=万延小判)によって、国内経済は大混乱し、徳川幕府の政治の失態に対する怨嗟の声は日本中に満ち溢れます。

さらにフランス、イギリスがそれぞれ幕府側、薩長側に付き、互いの戦争をあおります。
そしてアメリカからは、大量の格安中古武器がやってくる。

アメリカは、自分では日本に売りません。
自分で売ったら、薩長か幕府側か、どちらか一方にしか中古武器を売れないです。

けれど、英仏を経由すれば、官軍、幕軍、両方に武器を売れる。倍、さばける。

「おさむれえさん、新しい銃なら、銃一丁10万円なんスよ。
けどね、新品同様のセコハンなら、一丁2万5000円でいいッスよ。
しかもね、銃一丁につき、弾薬千発つけちまう!
どうです?
いまなら、もれなく、新兵器の指導教官付で、売りまっせ」

おかげで、百姓町人が武器を持ち、武家と戦うことになったのが戊辰戦争です。

そしてどれだけ多くの人の命が犠牲になったか。

ボクの好きなブログに、「花うさぎの世界は腹黒い」というブログがあります。
URL=http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/

まさに、世界は「腹黒い」のです。

だからこそ、私たちは、しっかりとした国家間をもたなければ、ご先祖様に申し訳ないことになる。

そう思うのです。

関連動画(YouTubeより)