石巻の「青い目のおなご先生」


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「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より「ねずきちのひとりごと」(日心会 会長:小名木善行)より


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3月22日、宮城県は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害で、「米国人教員の死亡を確認した」と発表しました。

AFPは「今回の震災で米国人の死亡が確認されたのは初めて」と報じました。

死亡したのは、宮城県石巻市で英語を教えていたテイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)さん(24)です。

地震後、自転車に乗っていたところを津波に流されたとみられています。

彼女は、津波警報がけたたましく鳴る中、教え子すべての子供たちを親に引き渡すまで、津波の恐怖から逃げなかったのです。

タイラー・アンダーソンさんは、2008年に来日し、石巻市の小・中学校で英語を教えていました。

地震が起きた時、彼女と一緒にいた小学校の関係者によると、彼女は児童たちを親に引き渡すまで学校に待機し、最後の子供を親御さんに引き渡してから、自転車に乗って高台に避難しようとしてたのだそうです。

そして途中で津波に巻き込まれた。

事態を知った石巻市は、アメリカ・バージニア州に暮らすテイラーさんの両親と連絡を取ります。

そして23日、父親のアンディーさんたちが急きょ来日した。
そしてその日、彼女の死亡が確認された。

現場付近を訪れて花を手向けた父親のアンディーさんは、
「津波が想像を超えるものだったことがよく分かりました。
娘が仕事をしていた場所を見ることができて良かった。
祈り、支援してくださった人びとに感謝します。
多くの人びとの祈りと支援によって、わたしたちはこの危機を乗り越えることができました。
これからも、行方不明の方々のために、それに日本の人々のために祈ってください」と語りました。

このあとご両親は、彼女が教えていた市内の中学校を訪問、学校での様子を聞いたり、アンダーソンさんが作った折り鶴を受け取ったりした。

ご両親は、彼女が使っていたポットや鍋、それに衣服を、日本の人々に寄贈されるそうです。

そしてご両親は、余震が続き、福島原発危機がいまだ去ることのない日本の復興を支援するための義捐金活動を始めると言う。

「それは、テイラーが望んでいたことだからです。
彼女は、自分が魅せられた日本で、自分の望んだ世界に住んでいたと思います。
彼女なら、この美しい日本が復興することを何より願っているはずです。
私たちは、彼女の名にかけて、日本が元に戻るように働きかけていきたいと思います」
と姉のジュリアさんは話しています。

「娘の死に方は、彼女の人生観を象徴しています。
娘は人に対して深い思いやりを持った温かい性格です。
彼女が、この世で行なった最期の行いは人を救うことでした。
それは何より、彼女の人柄を物語っています。
タイラーは、生徒たちから、大好きな先生として慕われていたようです。私は、娘を誇りに思っています」
と母親のジーンさんは、テレビの取材に答えました。

タイラー・アンダーソンさんは、今回の震災の外国人被災者のうち、安否確認が取れた最初の外国人です。

「未曾有の大震災。亡骸(なきがら)を確認できただけでも幸運」というのは、ご遺族にとってあまりにも残酷な仕打ちです。e

果たして、「どうか、安らかに眠ってください」という、お決まりの言葉で、その御霊を鎮めることができるのでしょうか。

少なくとも、私たち日本人は、自分の命も顧みず、多くの日本の子供の命を救ったタイラー・アンダーソンさんの名前は忘れることはないでしょう。
三陸の紺碧の海の町に「青い目のおなご先生」先生がいたことを。
そこには、「二十四の瞳」のような風景があったのかもしれません。

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以上の記事は、AOLnewsのエントリーを参考に書かせていただきました。

関連動画(YouTubeより)